霊氣の歴史


鞍馬寺からの風景
鞍馬寺からの風景

伝承によれば、臼井甕男(うすい みかお 1865-1926)が、安心立命の境地を求めて1922年(大正11年)3月に鞍馬山に籠り21日間の絶食を行い、21日目の深夜に脳天を貫く雷のような衝撃を受け失神し、目覚めた時には治癒能力を得ていたという。それを靈氣(レイキ)と名付け、同年4月東京青山原宿に「臼井靈氣療法学会」を設立。翌年1923年には関東大震災が起きたが、その際、負傷者の手当てに活躍したとされる。


臼井は霊氣の伝授レベルを、初伝、奥伝(前期・後期)、神秘伝に分けており、英語では、ファースト・ディグリー(段階)、セカンド・ディグリー、サード・ディグリー、ティーチャーズ・ディグリーと訳された。臼井が神秘伝まで伝授したのは21人とされる。


その内の1人、海軍大佐の林忠次郎(はやし ちゅうじろう 1879-1940)は退役後、1925年(昭和6年)に治療所「林靈氣研究所」を設立した。


1935年にハワイ生まれの日系二世ハワヨ・タカタ(高田 はわよ 1900-1980)が日本に帰国した際に、重度の難病を林のレイキにより完治したことから弟子入り、1938年にハワイを訪れた林から神秘伝の伝授を受ける。ハワヨは林から神秘伝を受けた13人の弟子の最後の1人となる。


ハワヨは、1937年に「レイキ・クリニック」をハワイに開業する。1970年まではセカンドディグリーまでしか伝授していなかったが、1970年以降サードディグリーの伝授を始め、22人のレイキティーチャーを養成する。


1981年に、ハワヨの孫のフィリス・レイ・フルモトを含めた、21人のティーチャーが「レイキ・アライアンス協会」をハワイに設立する。


22人のティーチャーの1人、文化人類学者のバーバラ・ウェーバー・レイは、1982年に「アメリカン・インターナショナル・レイキ・アソシエーション」(現ラディアンス・テクニーク協会)を設立し、それぞれがレイキの普及に貢献した。


現在はアメリカをはじめ、イギリス・カナダ・スペイン・ドイツ・オランダ・オーストラリア・インド・シンガポール・中南米・台湾・香港などの世界各地に広まっている。


日本では一旦廃れるも、1980年代にニューエイジブームと共に「REIKI」として逆輸入の形で再度広まった。その当時国内では、セカンドディグリーまでの伝授に留まっており、1990年初頭にティーチャーズディグリーの伝授が行われるようになった。


日本国内のみで続いていた霊氣は、今も「臼井靈氣療法学会」として存続してはいるが、現在は外部からの連絡を一切受け付けておらず、会員募集(霊授)も行っていない。

臼井甕男 (霊氣の肇祖)
臼井甕男 (霊氣の肇祖)

現在、レイキとして世界に広まっている手当て療法を中心とした民間療法の一種「臼井靈氣療法」の創始者。1865年(慶応元年)8月15日岐阜県山県郡谷合村に生まれる。1922年(大正11年)3月、京都の鞍馬山での21日間の絶食の結果、霊氣療法を感得。同年4月、指導法や五戒を定め、東京青山原宿に学会を設立し霊氣療法を行う。翌年1923年には関東大震災が起きたが、その際、負傷者の手当てに活躍したとされる。1926年(昭和2年)3月9日福山にて死去(62歳)

林忠次郎 (西洋レイキの祖)
林忠次郎 (西洋レイキの祖)
ハワヨ・タカタ (西洋レイキの母)
ハワヨ・タカタ (西洋レイキの母)
ハワヨ・タカタ
ハワヨ・タカタ
臼井が定めた五戒
臼井が定めた五戒


五戒


招福の秘法 万病の霊薬


今日丈けは


怒るな 心配すな 感謝して

業をはげめ 人に親切に


朝夕合掌して心に念じ口に唱えよ


心身改善 臼井靈氣療法


肇祖 臼井甕男